函館と【もっきり】

角打ち:升で酒を飲むことが語源で、現在は広く、酒屋で立ち飲みすることを意味する。

関西では、酒屋のカウンター、立ち飲み屋で飲むことを「立ち呑み」といい、関東、東北、北海道では「もっきり」という。

モッキリは、むろん、「盛り切り」、一杯飲みのことですね。

函館では、ずいぶんと減ってしまって、今、盛んと営業しているのは、函館駅近くの酒屋さん、「丸善瀧澤さん」と谷地頭電停前の「酒保古西酒店」くらいでしょうか。


函館のモッキリは、函館ドック全盛のころ、現在の函館どっく前電停を中心とした一帯から増えて広がったようです。好況時には5000人以上の工員さんがいたそうですから、終業時のそこら一帯の賑わいといったらすさまじいものがあったようです。

角萬長浜屋・川守田商店・伏見商店・白倉商店・柳川商店・木下商店・勝井商店・町出商店・千代盛商会

これを見て懐かしむ方は、現在70歳以上の先輩諸氏でしょう。当時のモッキリのお店の名前です。(函館市史より)

今では面影を残す場所も数少なくなりました。営業しているお店はありません。

毎日夕方になるとどこのお店も超満員になり、道路にはみ出した客に客から客へと酒を手渡しで回していくほどの盛況でした。喧嘩もあれば、下請け企業の社長がドックの若い社員に酒をすすめる姿もあったそうです。まるで、ドラマのストーリーの一部になりそうですね。

また、このころは市電が、深夜12時ころまで運航していたそうです。

モッキリ衰退の歴史は函館ドック衰退の歴史と重なります。

昭和48年(1973年)におきた第4次中東戦争をきっかけにオイルショックが日本を襲い、造船不況が起こりました。

函館ドックではこの年、前年までの大型オイルタンカー建造活況に対応して、30万トン級船舶建造船台や、大型ガントリークレーンの新設などを行いましたが、この後に、その船台を使って作られた船はわずか1隻だけでした。

昭和50年代に入ると、函館ドックにはリストラの嵐が吹き荒れました。希望退職に次ぐ希望退職の募集で、職工さんたちは見る間に減っていきました。

当然のことながら、ドック周辺の活況もあっという間にすたれていきます。

深夜運行していたという函館市電も、私が覚えている限りでは、昭和55年前後には終電が夜9時代前半だったと思います。

そして、平成11(1999)年12月千代盛商会が閉店したのを最後に、ドック前付近のモッキリ文化の歴史は幕を閉じたのです。

蛇足ではありますが、札幌に第三モッキリセンターという由緒正しい?立ち飲み屋があるらしく、近日、レポいたします。

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コメント

  1. yasuhir hirose より:

    第三もっきりセンターは、転勤前の職場近所で、昼夜ちょくちょく利用してました。
    カウンター、小上がりもあり店内は広いです。立飲みではありませんが。
    まだやっているのでしょうか!